女子バレーボール日本代表が東京オリンピックで25年ぶりに決勝トーナメント出場を逃しました。
男子とは対照的な結果に残念な気持ちでいっぱいですよね。
そんな中、後任監督として吉原知子さんの名前があがっています。
吉原知子さんは現在Vリーグ、JTマーヴェラスの監督を務めていますがその力量はどれくらいのものなのでしょうか。
この記事では吉原知子さんの学生時代からの経歴を調査して参りましたのでご紹介していきたいと思います。
さらに、吉原知子さんが監督候補になっていることに対する世間の声もあわせてご紹介します。
それではゆっくりご覧になってくださいね。
目次
吉原知子(バレー)の経歴は?
吉原知子さんは現在JTマーヴェラスの監督を務めています。
JTはVリーグ2部まで低迷していた時期がありましたが、吉原知子さんが就任したあとは1部へと昇格し、さらには19-20年度に優勝に導いています。
監督としての力量は十分と言っていいのではないでしょうか。
それではまずは吉原知子さんのプロフィールからご紹介したいと思います。
吉原知子のプロフィール
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名前 吉原知子(よしはら ともこ)
生年月日 1970年2月4日
出身地 北海道
血液型 A型
出身校 北海道立妹背牛商業高校、筑波大学大学院
身長 180cm
体重 60kg
ポジション ミドルブロッカー
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吉原さんと言えば現役時代、日本人初のプロバレーボール選手になったことが印象的。
また日本NO.1センタープレーヤーとして数々の好成績を残しています。
それでは詳しくご紹介していきます。
吉原知子の経歴(学生時代)
吉原さんがバレーを始めたのは中学1年生のときです。
吉原さんが通っていた妹背牛中のバレー部は強豪で、当時テレビでバレーを見て興味を持っていたため入部を決意したそうです。
学生時代の成績は華やかなもので、中学時代は1年生のときに全国大会に出場、さらに中学選抜に抜擢。
高校に進学したあとは3年連続インターハイに出場。3年生の時に全日本代表に初選出されます。
吉原知子の経歴(現役時代)
高校卒業後は進学を考えていたそうですが、当時日立の監督を務めていた山田重雄監督にスカウトされ、1988年日立に入社します。
日立ちでは中田久美さんや大林素子さんと一緒にプレーをしていました。
当時の映像も残っています。
日立に入社してから7年が経った頃、日本人初のバレーボールプロ契約選手としてイタリアリーグ・セリエA・アンコーナに入団します。
しかしこのプロ移籍をめぐって吉原さんと大林さんは突如日立から解雇命令が出されたんですよね。
当時はスポーツ新聞の一面を飾るなど、大きな話題となっていました。
イタリアでもチームを準優勝に導くなど活躍をし、残留要請を受けていたそうですが、アトランタ五輪に出場するため日本のチームに復帰します。
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当時、全日本代表選手はVリーグのチームに所属していなければならない規定がありました。
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日本に戻ってからは4つのチームに所属した経緯があり、その全てのチームを優勝に導くなどし、「優勝請負人」と呼ばれるようになりました。
オリンピックには3度出場しています。
- 1992年 バルセロナ五輪 5位
- 1996年 アトランタ五輪 9位
- 2004年 アテネ五輪 5位
1996年アトランタ五輪が終わった後は、バレーボール協会が「若手選手を主体に」という意向で、年齢を理由に全日本代表から外されることになります。
結果的に吉原さんのいないチームで2000年のシドニー五輪の出場権を勝ち取ることができませんでした。
その後女子バレーの復活を託された柳本昌一監督が吉原さんを再度日本代表に呼び戻します。
そして2004年アテネ五輪出場権を獲得し、当時高校生だった木村沙織さんと一緒にプレーをすることとなりました。
その後2006年、膝の故障を理由に現役を引退します。
吉原知子の経歴(引退後)
現役引退後は主に、スポーツコメンテーターやテレビの国際大会中継などで解説者として出演していました。
JTマーヴェラスの監督に就任したのは2015年。
就任1年でVチャレンジリーグからVプレミアリーグに昇格。
そして同年に全日本代表の監督候補に選ばれましたが辞退しています。
それからJTがVリーグで優勝したのが19-20年度のシーズン。
9シーズンぶりの優勝で令和最初のVリーグ女王に輝きました。
吉原知子の後任監督候補に世間の声は?
吉原知子さんの後任監督候補に関して世間の声がどうなっているのか調査して参りました。
吉原知子に賛成派のコメント
現役時代からのファンは楽しみにしている方が多い印象でした。
過去の戦績を見ても信頼できるのでは、という声もありますね。
女子バレー日本代表監督の吉原さんは見てみたい気はする
— ゆきこ (@pabo_yuki49) August 2, 2021
女バレ監督つぎ吉原さんなの?たのしみ!😙
— fumi (@cs5023) August 3, 2021
吉原さんが監督になって強くなるのかどうかはなってから数年経たないとわからないけど、よく知らない外国人が監督になるよりも日本人の方がまだ「今日の試合観てみようかな」って気にはなる。
— イングラム (@Ingram_19XX) August 2, 2021
吉原知子に反対派のコメント
外国人監督や男性監督がいいのでは、という声が多いです。
また中田久美さんとあまり変わらないのではないかという意見もありました。
後任が吉原さん案…
これまでの功績、
パイオニア優勝🏆と
素晴らしい選手だったけど
世界を相手にする代表を束ねるにはしがらみない
外国人監督とかにやらせてみて欲しい。
相性が良いかは未知数だが。— くらげ (@hukushinnotomo) August 3, 2021
次期監督候補に吉原さんが浮上ねぇ。VリーグでのJTの戦い方を見てるとそれぞれの選手の良い部分を出して戦う固定しないチームバレーをしてる気はするけど、久美長みたいにVリーグで結果出してるから監督候補に入れようみたいな安易な考え方になってないかい?久美長の二の舞になったりしないかね。。。
— tommy (@Badream_trap_) August 3, 2021
まぁ次期監督候補、吉原さんの名前は出てくるよね
ただもうVリーグで結果を残したことだけを過大に評価するのは怖いかな
男子の現代バレーを勉強し続けていて、実際に指導したこともある人がいいな日本人だと、ご本人は女子に興味ないかもしれないけど、松永理生さんあたりやってくれないだろうか?
— ばれぼ (@dAlL8OzjUqUgFoV) August 3, 2021
まとめ
さて、最後までご覧いただきありがとうございました。
吉原知子さんの監督候補に対して反対の意見が多い印象でしたが、私としては「やってみないと分からない」に尽きると思います。
結果が出たあとに批判することは簡単です。
やる前からどうなるかなんて誰にも分からないですからね。
また新たな日本女子が見られることを楽しみに待ちたいと思います。
それでは最後までご覧いただきありがとうございました。